私のこと 1
みなさまこんばんは。りえです。
今日から数回、私のことをお話ししますね。
私は岐阜の田舎町に生まれ育ちました。
両親は地方公務員で、年子の兄がいます。
私の家は、特別裕福でも貧乏でもない、
ごく一般的な地方の田舎町の家庭だったと思います。
子供の頃の私はすごく大人しく、
近所の人に挨拶も出来ないくらい内気で、
泣いてばかりいる感受性の強い子供でした。
あまり現実感がなく、いつも夢の中にいるようで、
どこにいても馴染めず、居心地の悪さを感じていました。
ひとりで遊ぶのが好きで、
外で草や花や川などの自然に遊んでもらっていました。
小学校低学年のときに、
父が今で言う双極性障害を発症し、
ある日突然、極端な躁状態になりました。
普段無口で感情を露わにしない父が、
突然ハイテンションの別人格になり、
私は訳が分からず、そんな父を恐ろしく感じて、
その日から父を父親だと認識出来なくなりました。
母は家庭的なタイプではなく、
外に出て仕事の他にも色んな活動に身を投じていました。
私はいつも母がいなくて寂しい思いをしていました。
外出ばかりしていることもありましたが、
自分のことばかりに夢中で、
私の方に目を向けてくれない、話を聞いてくれない母にいつも寂しさを感じていました。
母は自分が仕事をしていたこともあり、
女も自立しなければいけない、というのが口癖でした。
父は躁鬱病の持病があり、色んな意味で頼り無かったので、
実質、母が私たち家族を支えていました。
田舎というのは、長男が特別に大事にされるので、
私は家族のなかで、
自分はそんなに価値がないように感じていました。
しかし母の実家がすぐ隣にあり、
私は母方の祖父母にとても可愛がってもらいました。
それが私の子供の頃の救いでした。
高校生になるくらいまで、
私は世の中のことがよく分かりませんでした。
私は両親から世の中の仕組みについて何も聞いたことがありませんでしたし、
学校で社会の仕組みは教えてくれていたのかもしれないのですが、
私の耳には入りませんでした。
私には将来の夢もありませんでした。
私はどちらかといえば内向的なタイプで、
勉強も運動も容姿も平均くらいで、
決して目立つタイプではありませんでした。
活発で可愛くてアイドルっぽい女の子を
羨ましく思っていました。
そして依然として漠然とした居心地の悪さが常にありました。
高校生になり、進路を考えなくてはいけなくなり、
比較的絵を描くことが好きだったので、
美大のデザイン科へ行こうと決めました。
このとき初めて、
自分の意思で自分のことをはっきりと決めました。
いつも母から女も自立しなければいけないと聞かされていたので、
大学へ行き、会社に就職して働くことが当たり前だと感じていましたし、
世の中もそういう価値観しか無いように思えました。
そして一浪の末、
ここに行くと決めていた東京の美大に合格し、
上京し、念願のひとり暮らしを始めました。
長くなったので続きはまた明日に。