rie☆log

パラダイムシフトを起こし豊かで幸せな人生を創造していくプロセスをつづるブログ

私のこと 6

みなさまこんばんは。りえです。

私のこれまでのストーリーなんて、
興味を持って読んでくれる人いるのかなぁ…
読んだらドン引きするんじゃないかなぁ…
と心のどこかで思っていたのですが、
面白い!  と言って読んでくれている方が
ひとりはいらっしゃることが分かったので、
張り合いが出ました😊   嬉しいな💕

っということで、昨日の続きです。


自分の感情ブロックをどんどん外していくと、
自分の感情に巻き込まれることが減っていきます。
巻き込まれても、その期間が短くなっていきます。
そしてひとつひとつの感情エネルギーの違いが
解るようになっていきます。
そして、人の感情エネルギーの種類は多いわけではなく、
その現れにもパターンがあることが解ってきます。

思い込みをどんどん外していくと、
物事に対して寛容になっていきます。
拘りや思い入れみたいなものが無くなっていき、
人生に深刻なことが無くなっていきます。
つまり、人生に “ドラマ” が無くなっていくのですね。


20年ぶりに東京から実家に戻った私は、
まず家族から全く歓迎されず、ガッカリしました(笑)

実家には両親と兄が暮らしていました。
家族たちは、私が帰ることで、
自分たちのそれまでの生活が変わることが嫌だったのです。
特に兄は私が目障りだったらしく、
私を排除しようとしました。

私はこのとき、
家族に対する未消化の感情の解放はかなり進んでいて、
「自分の家族」という概念も超えてはいましたが、
まだ諦めきれてはいませんでした。

私は自分で思っている以上に、
家族のことを愛していました。
そして私はそのことにまだ気付いていませんでした。

私は実家に帰ってから3カ月間、
ほぼ毎日家を掃除し続けました。

母はとにかく片付けられない人で、
部屋という部屋が物で溢れかえっていました。
実家全体が整理されていない古い物のエネルギーで
時が止まったようになっていました。

私は必要無い物を捨てまくりました。
その量、ゴミ袋100個以上、軽トラック約4台分です(笑)
ご近所の方は引っ越しでもするのかと思ったそうです(笑)

そして部屋の隅々まで掃除して片付けたのですが、
母は最初、片付けを手伝おうとはしませんでした。
むしろ、部屋が片付くことを嫌がりました。
母は子どもの頃と同じように、
昼間はほとんど出掛けていて家にいませんでした。

私は片付けられない母を度々責めました。
どうして片付けられないのかと。
そして家のことをほったらかしにしている母に
家のことに目を向けて欲しいと思っていました。

しかしそれは家のことではなく、
本当は、母に私に意識を向けて欲しいという、
子どもの私がずっとずっと言いたかった心の叫びでした。
私は母に、どうしても愛して欲しかったのです。
それはほとんど執念でした。

ついに私は物でごちゃごちゃの母の部屋を
片付け始めました。
母は私に責められながらも、一緒に片付けてくれました。

何十年分の物で溢れかえった母の部屋を片付けるのは、
大変な作業でした。
年老いた母にとって、積み上げた物を動かすことを
考えるのさえ嫌だったと思います。

母は片付けが1日終わる度に、
私に「ありがとう」と言いました。
その言葉を受け取ることはとても嬉しいことでした。

実家を片付けることが私にとって、
エネルギー的にどういう意味があったのかはまだ解りません。
ただ、私の中の傷ついた子どもは癒されていきました。

家も片付いてしばらく経ったある日、
私はリビングで母とふたりでいました。
母はテレビを見ていて、
私は朝ごはんを食べていました。

母はテレビを見ながら、
独り言とも私に話しかけているとも言えない感じて、
テレビの内容について喋っていました。

私は母に話しかけましたが、
母は私の方に顔を向けず、テレビの画面を見たまま
気のない返事をしました。

その瞬間、私の中に強い感情が湧いてきました。
私は母に向かって声を荒げました。

「どうして私の方を向いてくれないの?
お母さんはいつもそうやって
私とちゃんと向き合ってくれない!!
私はずっとこっちを向いて欲しかった!!
私はずっと…寂しかった…」

私はそう言って、子どものように泣きました。
私はずっと母に「寂しかった」と言いたかったのです。

母は私の前に来て、
「お母さんはあなたとちゃんと
向き合えてなかったかもしれない。ごめんね」
と言いました。

私の傷付いた子ども時代は
やっと終わりに近づいていました。

私は自分の探求を始めてから、
基本の基本は自分の家族関係だと解ったので、
それまでも、何度も何度も、
両親とのことを掘り下げていましたし、
父と母に自分の思いを話したりはしていました。
それで、家族に感謝の思いを持っていましたし、
父と母という役割を超えて、
ひとりの人として両親を捉えてはいました。

でも結局、肚が納得するまでは求め続けて、
やり続けるしかないのだと思います。
飽きるまでやるしかないのです。
中途半端に求めたり、
怖がって遠慮したりしているうちは、
いつまでたってもそれを超えていくことは出来ない。

私は長い間、無意識ですが、母に復讐するために、
自分を幸せにしないようにしてきました。
私は母に愛して欲しかったのですが、
それを表現することが出来なくて、
私の心は捻くれてしまっていました。

本物の覚醒者の方が、
捻くれた心は自分でしか治せないと言っていました。
本当にその通りだと思います。

何度も何度もしつこい私の要求に
付き合い続けてくれた母に、心から感謝しています。
この記事を書きながら、
母への愛と感謝で、涙が溢れて止まりませんでした。

続きはまた明日…。