rie☆log

パラダイムシフトを起こし豊かで幸せな人生を創造していくプロセスをつづるブログ

遺伝子から考察するあの頃の私 ①

みなさん、こんにちは😊💕

 

台風が迫ってきている日曜日。

東京も雨と風が激しくなってきました。 

 

こんな日はお家でゆっくりと

自分の棚卸に専念して、

自分が生きる幸せな未来を決めることにしました。

 

今朝、過去の棚卸のような夢を見ました。

 

佳花先生のこちらのブログ記事で紹介されていた

アーシングシーツで眠るようになったら、

本当に毎日快眠熟睡で、眠るのが待ち遠しいのです(笑)

 

ameblo.jp

 

毎日熟睡していて、

最近見る夢も変わってきたように感じます。

 

今朝の夢は、

今はほとんど逢わなくなった友人が

たくさん出てきました。

 

そして、今はもうしていないかつての趣味、

以前、その友人たちと一緒に

楽しんでいた「遊び」をしている夢でした。

 

目覚めて、

あの頃のことも棚卸するときなのだなぁと感じました。

 

なので、今回から数回にわたり、

今、佳花塾1期で学んでいる遺伝子的側面から考察して、

人生の棚卸をしていこうと思います。

 

よろしければ、どうぞお付き合いください。

 

そして、ミラーニューロンの効果で、

この記事を読んだ人にも

人生の棚卸が進みますように。。。

 

遺伝子はある日突然オンになり、オフにもなる

 

私は子どもの頃から家族にも、

田舎の町の暮らしにも馴染めないような感覚があり、

早い時期から家を出たいと思っていました。

 

中学生になる頃には、

田舎の小さな町の閉塞感がとても嫌でした。

 

高校生の頃には、

田舎の暮らしが退屈でたまりませんでした。

もっと広い世界を見て、

体験したいと思っていました。

 

今思えば、私が好奇心が強いのは

私が受け継いでいる母の遺伝子の影響だと感じます。

そして、独立心が強いのも母からの遺伝子の影響です。

 

 

幼少期の私を振り返ってみると、

秀でた才能があったのは音感でした。

 

私は子どもの頃、音感とリズム感が良く、

クラシックが好きな両親は

幼稚園の頃から私にピアノを習わせました。

 

私は体がとても柔らかかったので

バレエを習いたかったのですが、

その願いは聞き届けられませんでした。

 

確かに、子どもの頃の私には、

今思うと絶対音感がありました。

 

これも母方の良い遺伝子がオンになっていたからですね。

 

しかし、両親はピアノを習わせたはいいけれど

そのあとは放ったらかしで、

自主的に楽しくもない練習をしなくてはならず、

私はピアノがすっかり嫌になってしまい、

中学生の頃に止めてしまいました。

 

この時点で、

私の絶対音感の遺伝子はオフになりました。

 

救急車のサイレンが音階で聞こえることも無くなり、

世の中のあらゆる音から音階が消え、

絶対音感は見事に無くなりました。

 

習い事はなんでもそうかもしれませんが、

どの先生につくか、家族の協力があるかなどで、

その後の成長が決まってしまうところが

あると思います。

 

あのときピアノではなくバレエを習っていたら、

私は今とは違うタイムラインを歩んでいたのですね。

 

そして、今出逢っているひとたちにも

出逢えなかったのだと思うと、

人生は不思議です。

 

遺伝子とは自分が持つ周波数

 

ピアノは止めてしまいましたが、

今思えば私は母方の遺伝子の影響で、

同級生とはちょっと違うセンスを持っていて、

風変わりな少女でした。

 

いわゆる一般的な

年頃の女の子が興味を持つものに興味がなく、

ちょっと尖った最先端のセンスのものを

いつも探し求めていました。

 

今のようにインターネットが無い時代に、

どうやって探していたんだろうと思うのですが、

数ある雑誌の中から、

ちょっと尖ったセンスの音楽やファッションが載っている

雑誌を見つけて食い入るように読み込んだりして、

片田舎で、ちょっと変わった東京的センスを持った少女は

育まれていきました(笑)

 

今思えば、自分の遺伝子の周波数に

引き合うものを選んでいたんでしょうね。

 

そんなちょっと変わった趣味の

マニアックな少女だったため、

趣味を分かち合える友人は回りにはひとりもおらず、

高校生のときは特に孤独でした。

 

しかし、ここでも良い遺伝子がオンになっていて、

私は母の良い遺伝子の影響でメンタルが強かったので、

孤独に負けることがありませんでした。

 

その頃は性格的にも「明るく可愛いみんなのアイドル」

みたいな女の子から最も遠いところにいて(笑)

世の中や世間一般的な可愛い女子を斜めから見ていました。

 

みんなと一緒、みんなと同じじゃなくても、

私は平気だったのです。

 

むしろ、みんなと同じなんて

ツマラナイと思っていました(笑)

 

そんな風だったので、

「男の子からモテる」なんてことは

一切ありませんでした(笑)

 

子どもの頃から女性のセルフイメージが

とにかく低かったので、女性の自分に自信が無く、

男の子と縁遠いのはその影響もありました。

 

いわゆる、青春っぽい恋愛的なことは

一切無い高校時代を過ごしました(笑)

 

それよりも、オシャレなものへの憧れや、

最先端のカルチャーへの憧れが強く、

東京という街に恋い焦がれていました。

 

田舎にあるものは、その頃の私からすれば

全てダサかったのです(笑)

 

今へと繋がるタイムライン

 

風変わりな少女は、

地方公務員の両親からは突然変異とも言えますが、

遺伝子的には真っ当に、

高校2年生の時に東京の美大に行くと決めて、

美大受験のための準備をはじめました。

 

音楽への道は閉ざされましたが、

私は美術の道へ進むことを自分で選びました。

 

授業料の高い美大へ行くことを認めてくれて、

そのために協力してくれた両親に

感謝の思いが湧いてきます。

私はその点、とても恵まれていたと思います。

 

そういう職業の人は回りにはいなかったのですが、

不思議なことに、

私は実際にその職業がどういうことをするのかも知らずに、

「私はデザイナーになりたい」と思っていたのです。

 

自分で美大に行くと決めたので、

そのための努力は惜しみませんでした。

(当時はそれが努力とも思っていませんでした)

 

ここでも私の良い遺伝子が

発揮されていたと感じます。

 

高校2年から毎日放課後田舎の絵画教室に通い、

デッサンと色彩学と平面構成を学びました。

 

しかし現役では受からず、

浪人することになりました。

 

田舎で学んでいてはダメだと思い、

毎日早起きして、

田舎から電車で1時間かけて

都会の美術系予備校に通いました。

 

浪人させてくれて、

予備校に通わせてくれた両親に、

やはり感謝の思いが湧いてきます。

 

予備校に通い始めてすぐに

受験に受かるためのデッサンのコツをつかみ、

私は予備校の中でメキメキ頭角を現し、

予備校で開催されるコンクールで

トップ3の常連になりました。

 

色彩感覚が良いとも褒められ、

平面構成でもトップ3の常連でした。

 

もともと勉強が嫌いで

美大に行こうと思ったわけではないので、

同時進行で同じ予備校の英語のクラスに通い、

少しずつですが受験用の勉強もしていました。

 

なので、

学科とデッサンと平面構成を合わせた成績では

私はその美術系予備校のクラス内でトップでした。

 

予備校後半には、

私には「美大に受からない」という考えは

全くありませんでした。

 

自分に自信があったとかそういうことではなく、

毎日積み重ねてきた行動で、

それだけ確実に準備をしているという

確信があったからです。 

 

私はこのとき、

夢中で毎日行動し続けていました。

 

必死で死に物狂いで、というよりも、

毎日新しい学びと発見があり、

淡々とした毎日を送りながらも自分に夢中でした。

 

そのとき、私はたくさんの良い遺伝子を

オンにしていました。

 

そして、今想い出せば、

未来の私が、

どのように行動していけばいいのかを

導いてくれていたように感じます。

 

その後私は当たり前に

いちばん行きたかった東京の美大

予定通りの学科に合格しました。

 

なぜ予定通りかというと、

今思い返してみると、

当時の私はその大学のその学科に行くことが

自分で分かっていたからです。

 

なので、私はその東京の美大1校しか

受験しませんでした。

 

今考えると自分でも驚きますが、

滑り止めを一切受験しなかったんです(笑)

 

そしてこのときの成功体験は、

その後の私の人生に大きな影響を与えています。

 

未来があって過去がある!

それは未来の私が選んだタイムライン

 

今でも覚えている映像があります。

 

確か小学校高学年くらいの時に見た

当時の人気アイドルが主演していた

年末のテレビの特別ドラマです。

 

そのドラマの舞台は、

東京の南青山にあるデザイン事務所で、

その当時では珍しく、

デザイナーという職業がフューチャーされていました。

 

小学生の私はデザイナーがどういうものなのか

よく分からずにそのドラマを見ていましたが、

今も脳にその映像が焼き付いているので、

その当時、とてもキラキラと輝いて見えたのだと思います。

 

時を経て、私が美大を卒業して最初に就職したのは、

南青山にあるデザイン事務所でした。

 

そして、そのデザイン事務所が運営するギャラリーで、

そのドラマで見たアイドルがグループ展を開催することになり、

その展示のオープニングパーティーで、

私は時を超えてそのアイドルに逢いました。

 

人生って不思議ですね、、、

 

これを書いていて改めて、

私は先祖からたくさんの良い遺伝子を受け継いで、

それを生かして生きてきたことが分かりました。

 

そして、私と関わってきてくれた人たち、

学校のクラスメイトや予備校の先生、

先祖と家族への感謝の思いが大きくなりました。

 

今までとは過去の感じ方が違っているようです。

 

長くなったので、

続きは次回へ。

 

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